沖縄県民にとってBBQ、イベント、パーティ、お祝いごと、結婚式、飲み会など、お酒がある場所に欠かすことのできないのが沖縄生まれのご当地ビール「オリオンビール」です。
戦後の沖縄を復興させることを目的として作られたオリオンビールは、今では沖縄を代表する企業となりました。
オリオンビールがなければ、今日の沖縄の第二次産業はこれほどまでに成長を遂げていなかったと言っても過言ではありません。
ここでは、そんなオリオンビールについて説明していきます。
■沖縄の第二次産業の礎として
オリオンビールは、戦後アメリカに統治されていた沖縄で社会経済を復興させるためには第二次産業が必要であるという創業者具志堅宗精氏の信念のもと、1957年に「沖縄ビール」として設立されました。
沖縄県民に広く認識してもらうために新しいビールの名前を一般公募し、当時としてはかなり破格の懸賞金をつけた作戦が功を奏し、多数の応募の中から決定された「オリオンビール」という名前を広く知らしめる結果になりました。
新しく事業を興す上で最も困難なのが、この「社名や商品をみんなに広く認知してもらうこと」なのですが、オリオンビールはこれを「懸賞金つきで名前を公募する」ことで県民に広く商品をアピールすることに成功したのです。その後、ビールにふさわしい軟水を求めて沖縄中を探した結果、良い水が採れた名護市に工場を建設し名前を「オリオンビール」と改めました。
いまでは沖縄県の第二次産業を支える大企業となっているオリオンビールは、アメリカ統治下の沖縄において、雇用によって県外への人材の流出を食い止め、沖縄の復興を支えた立役者の一人といえるでしょう。
■沖縄ブランドとしてのビール
1972年に沖縄が本土復帰を果たしたことでオリオンビールの事業は大きく影響をうけました。それまでは関税という壁があったことで、オリオンビールは沖縄県内でのビール消費量シェアはピーク時には9割を占めていましたが、本土復帰によって大手ビールメーカーが次々と沖縄に進出してきたのです。
それによって一時期は業績がかなり下がり、オリオンビールは苦戦を強いられます。
その後、本土のビール会社と真っ向からぶつかっても勝ち目がないことからオリオンビールとしての原点回避である「沖縄のご当地ビール」としてのブランド化を積極的に行うことで差別化を図ります。
オリオンビールのすべての商品は沖縄をイメージして作られ、テレビCMや広告なども沖縄出身の芸能人に限るなど、徹底した「沖縄ブランドビール」を確立したのです。
現在、国内のビール市場のなかでオリオンビールのシェアはたった1%しかありません。しかし、この徹底した沖縄ご当地ビールとしてのブランド戦略のおかげで沖縄県内でのシェアは50%以上を常に維持し、業績をキープし続けているのです。
■台湾などアジアへの進出
台湾などのアジア地域でも、オリオンビールの人気がじわじわと広がっています。台湾市内の居酒屋や日本料理店でも日本の大手ビールメーカーのビールに並んでオリオンビールが販売され、取扱店も増えています。
2015年から台湾のファミリーマートでオリオンビールが定番商品となり、オリオンビールの出荷を始めた1997年と比較するとその出荷量は約50倍に増えています。
アジア圏の人たちにとって、沖縄の地ビールの風味は他の日本メーカーのものよりも味になじみがあることから、飲食店などへの売り込みを行い取扱店を増やしていくことで、オリオンビールの知名度はまだまだ上がることになるでしょう。