チビチリガマをご存知でしょうか?沖縄の中部読谷村にある鍾乳洞の名前で、激しい沖縄戦を語るのに欠かせない場所のひとつでもあります。集団自決が行われたことが有名で、心霊スポットや肝試しの場所となっていると聞いた事もあるのではないでしょうか??今回はこのチビチリガマを紹介したいと思います。
・チビチリガマの名前の由来は??
チビチリガマのある読谷村波平には2つの有名なガマがあります。そのひとつ「チビチリガマ」の名前の由来は沖縄の方言で「チビ」=お尻「チリ」=切るという意味がありチビチリガマは浅い谷底にありますが、谷底を流れる細い川が最後はどこへ流れていくのかわからない事からチビチリガマと名前が付けられたと言われています。
チビチリガマを知ると欠かせないのがもうひとつの有名なガマの「シムクガマ」です。名前の由来は、「シム」=下を「ク」=「向」を意味し谷の下にある事からこの名前が付いたと言われています。チビチリガマは集団自決で沢山の命が失われたガマとして有名ですが、シムクガマは逆に約1000人の命を自決することなく脱出したガマとして有名です。なぜシムクガマでは集団自決をせずに助かったのか?シムクガマにはハワイ移民で日本語と英語両方話せる住民がいたので、アメリカ兵の話を聞いてシムクガマに避難していた住民を説得したので約1000人の命が救われたのです。チビチリガマで起こった集団自決の事実も大事ですが、このシムクガマでの出来事も一緒に学んで頂けたらと思います。
戦争の避難場所として有名なガマですが、ガマは深い谷底にあり夏は涼しく冬は暖かいので昔のうちなーんちゅはガマを憩いの場所として利用していたそうです。
・沖縄戦とチビチリガマについて。
激しい沖縄戦が始まると、チビチリガマやシムクガマに避難した住民はアメリカ兵のことを「鬼畜米兵」などと教えられていました。なのでアメリカ兵に捕まると殺されるか、言葉に表すことも控えたくなるような酷い事をされると思い込んでいた住民が多くいたのも事実です。アメリカ兵に日本語で「デテコイ」と言われアメリカ兵を目の前にすると、恐怖で皆がパニック状態になってしまい冷静な判断ができなかったそうです。その時ひとりの女性が「アメリカを怖がることはない!竹やりで戦おう」と言ったことでチビチリガマにいた住民は落ち着きを取り戻しました。全員が竹やりをガマへ持ち込みアメリカ軍がどこから上陸したのか?ガマの近くにいるアメリカ兵の人数など敵の情報を一切知らないまま住民は怯えて過ごしました。
チビチリガマにいた住民の一部が竹やりを持ち「殺せ!」や「天皇陛下万歳!」など大きな声を叫びながら、ガマから次々に飛び出し7メートル以上も上に居るガマの崖上に並んでいたアメリカ兵に向って行ったのです。待ち伏せていたアメリカ兵は機関銃や手榴弾で攻撃の雨を降り注ぎ、攻撃してくる住民に仕方なく攻撃する事になったのです。ガマから住民の救出がしたかったアメリカ兵は救出を諦め、「安心して出てきなさい。」と書いたビラと一緒にチョコレートや缶詰、たばこなどをガマの入り口に置いて安心させる作戦を取りました。ですが信じる住民はいません。ビラの内容を誰も信じることなく食べ物も口にすることは一切なかったと言われています。
次の日の朝、再びアメリカ兵が訪れガマから出るよう声をかけるが住民は皆「出ていけば殺される」と思い込みガマから出る者はいませんでした。その後、ひとりの母親が自分の娘の首を包丁で刺し殺し息子も包丁で刺すと、それがスイッチのように自決する者が多く続きました。パニックになった人がガマの中にあった布団に火を付け、ガマ内に煙が充満し苦しくなって死んでいく者や苦しさに耐えられなくなりアメリカ兵に撃たれて死のうと思った者が逆に助かると何とも悲しい出来事となりました。チビチリガマでは140人近くが避難し、その内自決者は85人でその過半数は子供でした。
・現在のチビチリガマは??
現在のチビチリガマは、「チビチリガマ遺族会」の許可が無ければ立ち入り禁止の場所となっています。チビチリガマでの集団自決は、絆の強い身内だったからこそお互いが安らかな死を願った事から集団自決へ繋がったとも言われています。犠牲者に子供が多かったのも大人の子供に苦しい思いはして欲しくない、という気持ちや思いがあったからではないでしょうか??うちなーんちゅの優しい気持ちが、苦しい決断を選ばざるを得ないのだったのでしょう。
チビチリガマの場所は、読谷村にある「体験王国むら咲むら」の近く渡慶次波平線上にあり赤瓦の公衆トイレが目印となっています。周囲にはサトウキビ畑しかないので、こんな所に公衆トイレ?と思う方も多いそうです。この公衆トイレから少し歩くと下って行ける階段がチビチリガマへの入り口で、階段を降りると左にチビチリガマが右には犠牲者の方々へ慰霊の平和の像があります。現在では立ち入り禁止なので勝手に入る事は絶対にダメです!肝試しや心霊スポットとして面白半分で訪れるのは遺族の方にも失礼になります。チビチリガマの場所の雰囲気は、大きなガジュマルの木に囲まれた重苦しい空気が流れている感じがします。
・少し前に話題になったチビチリガマ事件の結末。
2017年9月に起きたこの事件、最初はネット上で米軍基地反対派の自作自演などウワサが尾ひれや背びれを付け大きな話題になったのを覚えているでしょうか?
数日の間に沖縄県嘉手納署が自然壕のチビチリガマを荒らしたとして少年4人を逮捕。新聞やネットで話題となったこの事件は幕を閉じました。チビチリガマを荒らした理由に「肝試し」と昔からもしかしたらと不安視していたことが起こってしまいました。
少年達が逮捕された翌朝、遺族会の方々はチビチリガマ周辺の掃除や壊された立て看板など元の状態に戻しました。逮捕を聞いた遺族会からは、「理由が肝試しとはあまりにもショック」「チビチリガマの集団自決の悲劇を知っていたらこんなことできるはずない」との声も聞こえてきました。少年達の動機にもなった「足りない沖縄の平和教育」が生み出した悲しい事件となりました。
地元読谷村では「公民館などで子供達を集めて戦争体験を伝えていきたい」、「歴史や意味を知らないのが事件のキッカケ、小さい頃からチビチリガマについて教えたい」と地域から伝える事の大切さに繋がっているようです。
そして、この事件には続きがあります。逮捕された4人の少年達は今回起こした事件で「チビチリガマ」の悲しい集団自決について改めて知り、自分たちの無知を恥ずかしく反省したと言われています。遺族会の方の協力もあり犠牲者へ方々へ謝罪と反省の気持ちを込めて「野仏」を作りチビチリガマ周辺に配置したのです。「起こしてしまった事の重大さは消えないが、今後はチビチリガマで起こった悲しい事件を知らせる立場になりたい。」とこれからの世代への平和教育や戦争体験の歴史を伝える大切な役割を期待されています。
今回は沖縄で起こった悲しい集団自決の場所にもなったチビチリガマにつて紹介させて頂きました。過去に起こった事は、色々な意味で歴史として次の世代に伝えていかないといけませんね。